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35 公爵と獣王 前ページ次ページ虚無と獣王 トリステイン魔法衛士隊は、ここ数日多忙を極めていた。 隣国の内乱が貴族派の勝利に終わりつつある今、首都トリスタニア近辺には厳戒態勢が敷かれ始めている。 例え王宮御用達の職人であっても荷物及び身体検査は厳重に行われ、『ディテクト・マジック』による敵メイジの操作の有無についても調べられた。 当然王宮上空はフネ・幻獣の区別なく飛行禁止令が出されている。 魔法衛士隊はグリフォン、マンティコア・ヒポグリフの3隊から構成されていた。 グリフォン隊はゲルマニアからの帰国後から休暇という扱いになっている。もっとも『レコン・キスタ』の侵攻に備え城の宿舎にて待機中ではあったのだが。 ヒポグリフ隊は訓練期間に入っており、郊外の練兵場にて腕を磨いていた。 という訳で、現在首都の警備に当たっているのはマンティコア隊という事になる。 この隊の長はド・ゼッサールといった。鍛えぬかれた体躯、厳めしい顔に髭をたくわえた姿は威厳に溢れている。先代隊長から受け継がれている『鋼鉄の規律』を体現している人物だった。 そのド・ゼッサールに非常事態が告げられたのは昼を幾らか過ぎた頃である。 「王宮に向かってくる幻獣を2体確認! 風竜とワイバーンです! 双方騎乗あり、迎撃出ます!」 マンティコアに跨った5人の隊員が、素早く空へと舞い上がった。 日頃の訓練の賜物か、5騎はあっという間に件の侵入者を取り囲む。2騎は前方、1騎は後方、上下に各1騎。当然全員が杖剣を抜いていた。 「この区域は現在飛行禁止令が施行されている! 直ちに進路を変更されたし!」 リーダー格のメイジが風魔法で声を相手に届かせるが、相手からの返答はない。 ここは多少強引な手段を取るべきかと衛士たちが判断しかけた時、ふいに幻獣たちが動き出した。 指示とは逆に、王宮の方へと。 「ッ、このっ!」 下方にいたメイジがとっさに『エア・ハンマー』を放つが、急加速した風竜の尾を掠めただけに終わった。 マンティコアは小回りと持久力に優れているが加速という点では他の飛行幻獣に劣る。 それでも後を追いながら魔法を放つ衛士たちであったが、それらは全て風の防壁で弾かれるか、また火の呪文で迎撃されていった。 距離も時間も短いが真剣な追走劇は、ほどなく侵入者の王宮中庭への緊急着陸という形で終わる事となる。 中庭に駆けつけたド・ゼッサールは、注意深く侵入者を観察した。既に抜杖しており、いつでも呪文を唱えられる状態である。 表情を険しくしたまま、しかし彼は内心で困惑していた。 城への強行着陸という乱暴な手段を取った者たちが、20歳にも満たない様に見えたからである。 風竜に乗っていたのは青髪に眼鏡をかけた、まだ12・3であろう少女。燃える様な赤髪の、こちらは19歳くらいと覚しき少女。そして同じく10代の金髪の少年であった。 更に虎ほどの大きさのサラマンダー、それより一回り以上大きなジャイアント・モールがいる。 一方ワイバーンに乗っていたのはピーチブロンドが印象的な13・4の少女と、見た事のない3メイルほどの大きさの鰐頭の獣人だった。 なかなか個性的なメンツであったが、彼女たちの共通点としてなぜか一様に土埃にまみれているという事が上げられる。 また獣人を初めとして幾人かは怪我をしているのがわかった。 まるでどこかの戦場を駆け抜けてきたかの様な姿に、歴戦のメイジである魔法衛士たちも息を飲んでいる。 しかし、ド・ゼッサールは他の隊員たちとは別の意味で息を飲んだ。 動きやすさを重視したのか乗馬服を着た桃色の髪の少女の姿に、激しい既視感を覚えたからである。 中庭は緊迫した空気に満ち溢れていた。 魔法衛士たちが周囲を取り囲む中、ワイバーンから降りたルイズは敢えて胸を張り声を上げる。 「私はラ・ヴァリエール公爵が3女、ルイズ・フランソワーズと申します。大至急、姫殿下もしくはマザリーニ卿にお取り次ぎ下さい!」 ピクリ、とマンティコア隊隊長の表情が動いた気がした。 「──ラ・ヴァリエール公爵のご息女、と申されたか」 「はい」 「なるほど、目元が母上によく似ておられる」 「そちらはマンティコア隊のド・ゼッサール様とお見受けします。両親からお話はよく聞かされておりました」 傍目にはどうという事のない会話であったが、2人の間ではアイ・コンタクトで様々な感情が行き来している。 ああ、『烈風カリン』殿のご息女ですか。大変でしょうなあ、こう、いろんな意味で。 いえいえ、ゼッサール様も母様の全盛期に部下をなされていたのでしょう? 心中お察しします。 とまあ、文にすると大体こんな感じになる。つまるところ、同病相哀れむという良い見本であった。 どうやらレコン・キスタの手の者ではないらしい、それどころか公爵家の令嬢である様だという事で、衛士たちは戦闘態勢を1ランク下げた。 流石に杖を降ろしたりはしないものの、隊員同士で素早くアイ・コンタクトや小さなジェスチャーが交わされ、意志の疎通が図られていく。 (赤髪の巨乳1択)(同意)(激しく同意)(同感)(お前は俺か) (わかってねえなあお前等)(ふくらみかけこそが至高)(つまりピーチブロンドの娘こそが最高) (貴様等は雅というものを理解できんようだ)(スレンダー=究極は世の常識だろう)(巨乳より微乳、微乳より無乳)(という訳で青髪が勝者) (寄んな変態思考)(いやでも将来的には垂れるだろ巨乳)(大切なのは今だ)(可能性を考慮すればふくらみかけは夢がある)(そこはむしろこのままで)(寄んな変態思考) 一応念の為に記しておくと、トリステイン魔法衛士隊はメイジの中でも特に優秀な者が厳しい選抜を経た上で入隊をも許されるエリート集団であり、少年少女たちの憧れの的である。 なお只の衛士ならともかく、魔法衛士隊は女性の入隊が未だ許されていない。 端からは決して判らない無言の論争を繰り広げる隊員たち(全員独身)をよそに、ルイズとゼッサールは交渉を続けていた。 「姫殿下にお会いしたいと言われるが、用件をお教え願いたい」 「申し訳ありませんが機密性が非常に高い内容なのです。更に言えば、早く報告しなければならないものでもあります」 ルイズの返答は切羽詰まったものであったが、立場上鵜呑みにできるものでもない。 「残念だがそれでは話にならぬ。お分かりかと思うが、現在トリスタニアは厳戒態勢が敷かれているのだ。その中で用件も告げられない者を姫殿下に取り次ぐ事など出来ないぞ」 「ゼッサール殿の懸念は私にも判ります。では『ディテクト・マジック』での探査の後、貴方だけにお話するというのは?」 ゼッサールは部下にアイ・コンタクトで、 (いつまで乳談義続けてる! そういうのは結論出ないんだから飲みの席だけにしとけ。それと大切なのは乳じゃなくて尻だ!) と伝え、ついでに『ディテクト・マジック』をかけさせる。 複数の衛士からルイズ一行に探査魔法が飛ぶが、いずれも反応はなかった。 ただこれは水魔法による『洗脳』や『強制』などがないというだけで、自分の意志で行動している場合は厄介な事になる。 ルイズは率先して自分の杖を手放し、ギーシュらもそれに続いた。キュルケはちょっと抵抗があった様だが、タバサの「王宮」という一言に仕方ないという顔をする。 クロコダインもグレイトアックスを石畳の上に置いて両手を後ろに回した。フレイム、ヴェルダンデ、シルフィードは地に伏せる。 攻撃の意志なし、と取った隊長はルイズへと歩み寄っていった。 先程の『ディテクト・マジック』でマジックアイテムの類を持っていないのも明らかになった以上、この辺りが妥協点であろう。 後は『静寂』の呪文を掛けて唇の動きを隠せば会話の内容は漏れまい。 そんなこんなで話が纏まりかけたその時、これまでの交渉や段取りを一気にひっくり返す一声が中庭に響いた。 「ルイズ! ああ、ルイズ・フランソワーズ!」 透き通った声の持ち主は、紫のマントとローブに身を包んだ見目麗しき乙女、アンリエッタ姫であった。 宮殿から全速力で駆けてきたアンリエッタは、その勢いのままルイズに抱きついた。 小柄なルイズは王女を受け止めきれず倒れ込みそうになるが、後ろにいたクロコダインが片手で支えたので事なきを得る。 「無事だったんですのね、本当に、本当に良かった……!」 目に大粒の涙を浮かべて力一杯しがみつくアンリエッタに、ルイズは嬉しさを覚えた。よく見れば王女の顔には薄化粧では隠しきれない隈がうっすらと見える。 ルイズたちを送り出してから禄に寝ていないのだと思われた。ただ、学友や魔法衛士隊が注視している中でのこの体勢は気恥ずかしさが先に立つ。 「ひ、姫様、ちょっと落ち着いて下さい。大丈夫ですから」 しかしアンリエッタはルイズの言葉が届いていないのかしがみついて離れようとせず、ルイズとしても無理に引き剥がせる訳がなかった。 どうしようかと思っていると、前触れもなく空から救いの主が現れた。 「ご無事で何よりです、ラ・ヴァリエール嬢」 中庭に面した建物のどこかから『レビテーション』で音もなく降りてきたのはマザリーニだ。手に羽根ペンを持ったままなのは、騒動を耳にして慌てて政務を中断したのだろう。 「マザリーニ殿、これは一体……?」 困惑した面持ちで問いを発したのはゼッサールである。 トリステイン王国の重要人物が立て続けに現れたせいだろう、どう対応するべきか判断に苦慮しているのがありありと判る。 「彼女らの身の証は私が立てましょう。お騒がせして申し訳ありませんでしたな」 この一件は自分が預かる、という答えにゼッサールはとりあえず納得する事にした。 王女と事実上の宰相が関わっているのが判明した以上、余程の事態と見るべきであり、近衛隊隊長の身でも現時点では知るべきではない事なのだろう。 これまでの経験から、知るべき事ならいずれ嫌でも耳に入るだろうとゼッサールは一種の悟りを開いていた。 部下に合図し再び持ち場へと戻る中で、あっさり包囲を抜かれた事への対応策と、マンティコア隊として乳と尻のどちらが重要かを考える彼であった。 人気の無くなった中庭で、マザリーニは深々と溜息をついた。 確かにアルビオンからどうやって帰還するかについては前もって決めていた訳ではない。また、出来るだけ早く事の次第を報告しようとするのは判る。 判るのだが、あんなド派手な帰還をされてしまっては困るというのが彼の本音であった。 マンティコア隊は『ディテクト・マジック』によって操られていない事が判明しており、なおかつ口も堅い。 しかし庭に面した建物の窓からこちらを伺っている貴族たちや宮廷婦人らの口からは、あっと言う間にこの一件が広まっていくだろう。 「人の口に『ロック』は掛けられない」ということわざがあるが、余り広まって欲しくない話題ではあるのだ。 考えなければならない事案がまたひとつ増えた、とマザリーニは暗鬱になっていたが、この後のルイズの報告でその様な些事は吹っ飛んでしまう事に、当然彼は気付いていなかった。 一行はとりあえず謁見の間へ移動する事となった。 とは言え、実際に報告するのはルイズとクロコダインのみである。 ギーシュは一応王女直々に手紙回収の任を依頼されていたが、ラ・ロシェールで別行動をとってからの流れは把握していなかった。 タバサもほぼ同様ではあるが、依頼を受けている訳ではない上にガリア出身であるという事実もあって、控え室までという対応となる。 キュルケはラ・ロシェールからずっとルイズと行動を共にしてきたが、ゲルマニアの、しかもヴァリエール公爵家とは因縁の深いツェルプストーの人間である事が大きなネックとなった。 加えて彼女は打ち身や切り傷が非常に多く、水メイジの治療が必要と判断されたのである。もっとも怪我の度合いからすればクロコダインの方が深手であったのだが、当の本人からは 「オレのは見た目ほど酷くはない。それよりキュルケを治してやってくれ」 などという返事が帰ってきていた。 ともあれ、小柄な主と大柄な使い魔が豪奢な謁見室に足を踏み入れると、そこには既に1人の先客があった。やや白いものが混じった金髪に見た目は細身だがその実鍛えぬかれた体を持った初老の美丈夫である。 「もうおいででしたか、グラモン元帥」 「正体不明のメイジが魔法衛士隊の包囲を抜いて中庭に着陸するような騒ぎがあれば、嫌でも体は動くものです」 涼しい顔で言い放った元帥は、更に付け加えた。 「その中に女神もかくやと言わんばかりの絶世の美少女が居るとなれば、尚更ですよ」 気の知れた者達にしか使わないべらんめえ口調こそ出てはいないが、ぶっちゃけ言ってるのはただのくどき文句である。 (ああ、ギーシュのお父様だけの事はあるわ) ルイズが変なところで感心していると、ふいに扉の向こうが騒がしくなった。 す、とさりげなくクロコダインがルイズの前へ出る。どんな攻撃があっても盾となって主を守る為だ。 だが、扉から現れたのはルイズに仇為す者ではなかった。 「父、様……?」 そう、勢いよく扉を開け放ったのはラ・ヴァリエール公爵その人だった。 ただ、一瞬ではあるがルイズが戸惑ったのは、いつも綺麗に髪を整え服装も一分の隙もない印象の父が、髪や服は乱れ、片眼鏡は落ちそうになっており、普段の威厳さが遠いサハラを越えて東方まで旅に出ているような有様だったからである。 公爵は早足でルイズの前まで行き、その両肩をぐっと握り積めた。 「大丈夫だったか? どこも怪我などしてはいないな? 私の小さなかわいいルイズ……!」 「は、はい! 大丈夫です」 ルイズの返事と、その間に短く呪文を唱え愛娘の身体におかしな水の流れがないのを確認し、ようやく公爵は安堵の息を吐いた。 親子の対面に涙を滲ませるアンリエッタはともかく、にやにや笑いを隠そうともしない悪友2人を睨み付けた後で、ようやく普段の表情を取り戻した彼はクロコダインに向け頭を下げた。 「クロコダイン殿、ですな。貴方の事はオスマン学院長などから伺っております。幾度も娘を助けて頂いたそうで、感謝の言葉もありません」 そう言いつつ、公爵は杖を取り出し『治癒』の呪文を唱える。 すると応急処置しかしておらず、火傷の痕も生々しかったクロコダインの身体が見る見るうちに回復していった。 通常、この手の呪文は秘薬を併用するのが常識であり、それがない場合術の効果は著しく下がる。それを単独呪文のみでここまで効果を引き出しているのだから、公爵の腕は相当なものであると言えるだろう。 そこへ更にオールド・オスマンがゆっくりと現れた。学院にはまだ帰っておらず、図書館と王宮と『魅惑の妖精亭』を往復していたのが幸いした形だ。 これでヴァリエール公爵夫人を除けば、今回の一件を知っている王室関係者がここに揃った訳である。 ひとつ咳払いをした後で、こういう場所では司会進行役になりやすいマザリーニが口を開いた。 「では、旅の成果を聞かせて頂けますかな?」 ルイズは学院を出発してから今までの事を包み隠さず報告した。 ただ一点、サンドリオンの正体については伏せている。父からアイ・コンタクトで「それは言わなくていい」という指示が飛んだからだ。 もっとも、マザリーニたちの表情を見る限り明らかに正体について知っている感じだったので、これはアンリエッタには知らせなくともよいという判断なのだろう。 一方で、虚無魔法についてはありのままを話していた。 未だ実感がないというのもあるが、隠し立てするには余りに事が大きく、またここにいる面子ならばきちんとした対応を考えてくれるだろうと思ったのである。 アンリエッタは己の血の気が引く音を聞いた様な気がした。 いかに自分が考えなしに行動していたか、ルイズの報告で思い知らされたのである。 ウェールズへの恋文は渡した翌日に当人の手によって処分されていたという。 一週間前にこの事実を知っていたら、アンリエッタはウェールズを恨んでいたかもしれない。 しかし今なら、何故愛しい従兄がそんな選択をしたのかがよく判る。始祖の名まで記した懸想文など、王族が出すには不注意にも程があると。 現にただの手紙一通で国家観の軍事同盟が反故の危機を迎え、幼馴染が死地を何度も潜りぬけて手紙の所在を確認しに危険極まりない任務に就くことになったのだ。 見事に彼女はその任を果たしてくれたが、土埃にまみれたその姿や使い魔である獣人が傷だらけになっている所からして、簡単な任務ではなかったのは一目瞭然である。 ラ・ロシェールに着く直前に傭兵たちに襲撃され、街では脱獄した『土くれ』のフーケを始めとした傭兵集団との戦闘があり、『遍在』すら扱うメイジとの戦いも経験した。 フネで出港すれば空賊に拿捕され、それが王太子の偽装であったのは良かったが、アルビオンでは操られたワルド子爵と死闘を繰り広げている。 王子には亡命を勧めたがそれは拒否され、代わりに信を得た結果として彼の国の秘宝『風のルビー』と『始祖のオルゴール』を預けられたルイズは『虚無の使い手』として覚醒した。 正しく波乱万丈の旅である。仮に自分とルイズの立場が入れ替わっていたとしたら、正直ここまでの結果を引き出せていたとは到底思えなかった。 どう考えても途中で命を落としている。 そんな場所に幼なじみを送り出した事を、アンリエッタは後悔していた。 ワルドを後から護衛に選んだのを含め、この一件での自分の行動は全て裏目にでていたと言える。 詰まるところ、王族の一挙手一投足がダイレクトに誰かの死に繋がるという事実に、今更ながら気が付いたという訳だ。 これは蝶よ花よと育てられたアンリエッタが初めて味わった挫折であり、世の中は決して自分の思うようには運ばないという現実を思い知った瞬間でもあった。 そんな、放っておけば止めどなくマイナス方向へ落ち込んでいくアンリエッタの思考を救ったのは、報告を終えたルイズの言葉である。 もっとも、これは救ったというよりは一時停止させたという方が適切であるだろう。 なんとなれば、彼女の『大切なおともだち』は報告を終えたその足で「学院へ戻る」と言い出したからである。 「……はい?」 「ルイズ!?」 「まあ待て、待て待て待て」 上から順にアンリエッタ、ヴァリエール公爵、グラモン元帥の発言を受け、ルイズは目を丸くした。 任務をなんとか終えて報告も済んだ以上、理由もなく王城に留まる訳にはいかない。学生である以上、学院へ戻るのは自明の理であり、ルイズとしてはそんな反応をされるなどとは夢想だにしていなかったのだ。 ある意味学生の鑑とも言うべき言動ではあったが、魔法学院最高責任者のオールド・オスマンなどは「いやそれは真面目すぎじゃろ」と、教育者にあるまじきツッコミを敢行している。 ちなみにこの少女、ワイバーンを飛ばせば午後最後の授業には間に合うねなどと考えていた。 そんなルイズに、何故かひどく疲れた表情のマザリーニが苦笑を浮かべながら言う。 「まずはお礼を言わせて下さい、ミス・ヴァリエール。貴女のお陰で最悪の危機を免れる事ができました。そればかりか、大変重要な情報をもたらして頂き、本当にありがとうございます」 事実上の宰相にここまでストレートに礼を言われるとは思っていなかったルイズは慌てて頭を下げた。 マザリーニは更に続ける。 「私が貴女の年齢の時、同じ条件でアルビオンに赴いたとしても、ここまで事を上手くは運べなかったでしょう。 この旅でどれだけの苦難を乗り越えてきたか、想像しただけでも頭が下がる想いです」 最高級の賛辞にルイズは顔を赤くした。『ゼロ』などという不名誉な二つ名を付けられている彼女は、誉められるという行為自体に慣れていないのだ。 「表立った任務ではありませんでしたので、報酬や勲章を出す訳にもいきません。ですが、せめて暫くの間、この城で歓待させて頂けないですかな?」 本来なら爵位と領地付きの城くらい与えなければならないところですが、というマザリーニにルイズはぶんぶんと首を横に振った。 「そそそ、そそそそんな、滅相もありません! 私ひとりでは何もできませんでしたし!」 「では、協力して頂いた方々にも一緒に過ごして貰いましょう」 よろしいですかな、と言うマザリーニに他の大人たちもあっさり承認した。 「ま、出席日数なんぞどうとでも誤魔化せるしの、立場上」 「あ、うちのギーシュはあまり歓待しなくてもいいですぞ。誰に似たのか知らんが図に乗りやすくていけない」 これが魔法学院長と国家元帥の言う事なのだからどうかしている。 え、ええと、と反応に困るルイズに、横にいたクロコダインが彼女の頭を優しく撫でながら言った。 「勉強に熱心なのはいい事だが、今のルイズに一番必要なのは休息だと思うがな」 休める時に体を休められてこそ一人前だ、という使い魔に、少女はうぅむと考え込む。 「お願いですから少し休んでいって、ルイズ」 結局クロコダインやアンリエッタらに説得される形で、ルイズは王宮に滞在する事になった。 差し当たって湯浴みでもしてきなさいと言われ、ルイズは案内役の侍女と共に退席した。続いてアンリエッタも心身の不調を訴え自室へと戻っていく。 少女2人を見送った大人たちは、扉が閉じられるのと同時に揃って頭を抱え込んだ。 「……問題が1つ解決したと思ったら違う問題が山積していくのは、呪いにでもかかっているのですかな」 「爆弾発言多すぎだろ。特に虚無関係」 「予想してはおったが、マジで『虚無の使い手』じゃとはなあ……。長生きはしてみるもんじゃの」 「暢気な事を……。まあそれはそれとして、色々と確認しなければならない事案がありますな」 公爵の言葉に頷いたマザリーニは、クロコダインに問う。 「操られたワルド子爵をヴァリエール嬢が解放したそうですが、件の子爵どのはどちらにおいでなのですかな?」 対してクロコダインは、腰から下げていたマジックアイテムを取り出して振ってみせた。 「彼はこの中だ」 この面子で『魔法の筒』の効果を熟知しているのはオスマンとクロコダインのみである。 『焼けつく息』で麻痺したワルドをロープで縛り上げたキュルケとサンドリオンは、更に荒縄を『練金』で鋼鉄に変えるという豪快さを遺憾なく発揮していた。 まあ操られていたとはいえワルドのした事を考えれば無理もない対応ではあるが、若干の私情が入っているのは否めない話である。 しかし、流石にそのままの格好で王宮に入れる訳がない。事情を知らない者からすれば、下手したら魔法衛士隊隊長を人質に取った悪党とも取られかねないからだ。 また、杖は無効化されているものの、剣として使う事も出来るので油断は禁物だ。 とまあ様々な要因が重なりあった結果、斯様な対応となった次第である。 「成る程、よくわかりました」 「まあ筒から出すのは後でもよかろ。こっちもそれなりの準備をしてから尋問せにゃならん」 マザリーニらの調べでは、レコン・キスタとワルドの繋がりは1年以上前からあったらしい。禁制の魔法薬でも何でも使って情報を聞き出さねばならなかった。 「それと『虚無魔法』の取り扱いだな」 もちろんその使い手を含めてだがな、と次の事案を提示したのはグラモン元帥だった。 「疑うつもりはありませんが、神学者としては実際に行使する所を是が非でも見せて貰いたいですな。あとは『始祖の祈祷書』の真贋確認も出来るでしょう」 トリステイン王家に伝わる秘宝『始祖の祈祷書』は全頁全て白紙という、ある意味漢らしい仕様となっている。 しかしルイズによれば、鳴らない筈の『始祖のオルゴール』から先祖にあたるブリミルのメッセージが聞こえたのだという。 凡人には感じ取れずとも、ルイズなら何事かを感じ取れるかもしれなかった。 「あとはこの事を公表するかどうかじゃが……」 一応確認だけはしてみる、といった口調のオスマンに、元教え子たちは口を揃えて「時期尚早」と答えた。 「まあ最低でも『大掃除』が終わってからです」 現在トリステインでは少なくない数の貴族が他国に通じている状態だ。そんな中で『始祖の再来』などと宣伝するのは百害あって一理なし、というのが3人の共通見解であった。 「いずれロマリアとも内々に接触しなければならないでしょうが、これはまあその時に考えましょう」 そん時ゃお前がパイプ役な、という元帥の言葉にマザリーニは溜息をつく。丸投げですか、などとは思わない。いつもの事だからだ。 溜息の理由はロマリアという国についてである。辞退はしたものの他国にずっと居た者(つまり自分の事だ)をコンクラーベに選出するというのは正直どうなのか。 しかしロマリアもあまり人材がいないのだろう、などとは思わないマザリーニだった。 現在の教皇、聖エイジス32世は20歳前後という若さでロマリアの頂点に立った人物だが、そんな年齢でこの地位にいるという時点で只者ではないと考えるべきなのだ。 どう話を持って行っても厄介な事になる予感がするのは多分おそらく気のせいだ、と若干現実逃避気味の『鳥の骨』だった。 「ロマリアに関してはそれなりにパイプがあるのでなんとかしましょう。それより先に解決しておかなければならない事があります」 マザリーニの言葉に苦々しい表情で答えたのはヴァリエール公爵である。 「ツェルプストーの娘、だな」 ルイズが『虚無の使い手』であるのを知っている人間は少なければ少ない程良いのだが、よりにもよって実際に虚無魔法使っているところを隣国の貴族にばっちり目撃されてしまっているのは、どう考えても問題だ。 しかも国境を挟んで度々衝突し、それ以外にもヴァリエール家とは様々な『因縁』のあるツェルプストー家の娘である。 ただでさえゲルマニアとは軍事同盟が結ばれていたりアンリエッタ姫が嫁ぐ事となったりしているのに、というかそれらの話をご破算にしない為の任務だったというのに、別方向から問題が発生している現状である。 だが一方で、彼女の働きがなければルイズやウェールズが命を落としている可能性が高かったのも、また事実であった。 「んで、肝心の娘はそういうのをポロッポロ喋っちゃうような性格なのか? あと胸はでかいのか」 などと言うのはグラモン元帥だ。対してオールド・オスマン曰く。 「ん! 胸はでかいぞ!」 そうじゃねぇだろ、と他全員が突っ込みを入れた。 わざとらしい咳払いの後、重い雰囲気を払うためのオチャメじゃないかなどと言い訳しつつオスマンは答える。 「まあ口ではなんのかのと言ってはおるが、ありゃ結構お主の娘に入れ込んどるぞ。そうでもなきゃフーケ追跡だの今回のアレだのに同行したりはせん」 複雑そうな面持ちの公爵に、クロコダインが更に口添えした。 「何か事情があるようですが、理を持って話せばルイズの不利になる様な事はしないでしょうな。何でしたらこちらから他言無用と伝えておきますが」 「実家との仲もそれ程良くはない様じゃし、そうペラペラと漏らしたりはせんと思うがの」 何せ親の用意した見合い話が嫌で半ば強引に留学したなどという噂のある少女である。我が強いのは確かだが説得方法を間違えなければ話は通じそうだった。 「他の面々は虚無について知ってそうですかな?」 「サンドリオンに関しては知られていると思って間違いないでしょうな。ギーシュやタバサには知られていないとは思いますが」 ちなみにサンドリオンとはラ・ロシェールの街で別れていた。避難民たちとの話があるのだと言っていたが、王宮に顔を出すのはまずいという判断もあったようだ。 「ま、ギーシュにはこっちから重々伝えておこう。まあ常から『ヤバげな物事には近づくな、考えもするな』とは教えてあるがね」 胸を張るグラモン元帥に、教育方針としてそれはどうかと皆は思った。 「そのタバサという少女に関してはどうですかな」 ヴァリエール公爵の質問に、眉を寄せたのはオールド・オスマンである。その顔を見たマザリーニは、1年ほど前の事をふと思い出していた。 「老師、ひょっとしてその少女は……」 ふぅ、と溜息を付いてオスマンは頷く。 「そういえばお主には入学前に話しておいたの。ひょっとしなくともオルレアン公の忘れ形見じゃ」 公爵と元帥が、タイミングよく口に含んでいた水差しの水を思い切り噴いた。 「ちょっと待ってくれ先生、オルレアン公ってなあ、『あの』オルレアン公かよ!?」 「ガリア王の姪がルイズのクラスメイトで、しかも今回の任務に同道していたと!?」 大慌てな2人に対し、事態が全く飲み込めないのがクロコダインである。ハルケギニアの国際事情に通じていないのだから当たり前なのだが。 「ああ、失礼しました。詳しくはいずれ説明致しますが、要はフォン・ツェルプストー嬢と同じくいささか厄介な事情がある娘なのですよ」 実際にはいささかどころではない位に厄介な事情が存在していたが、それは言っても始まらない。 結局のところ、オスマンやクロコダインがそれとなく探りを入れて、知らないようならそのまま、知っていたらその時に考えようという消極案が採られた。 問題が多すぎてここにいる面子の一部には投げやり感が漂いつつあり、後回しにできる事案は考えないようにする流れだった。 「まあこの場で思いつくのはこれくらいでしょうか。とりあえず我々も何か腹に入れて、後はそれから考えましょう」 マザリーニはそんな言葉でこの臨時会議を終了させた。 ルイズが案内された来賓用の浴室に入ると、そこには既に先客がいた。 「お、やっと来たわね。お先に頂いてるわよー」 湯船の中でご機嫌な挨拶をしてきたのは言わずと知れたキュルケである。 その横でタバサが無言のまま右手を上げた。どうやら挨拶のつもりらしい。 「あんたたちねえ……」 どっと疲れの出たルイズだったが、めげずに髪を洗いに向かう。服を脱いだ時にも結構な砂埃が落ちていたのだ。ここは念入りに洗っておきたかった。 「なによ、付き合い悪いわねー」 ちぇー、と口を尖らせるキュルケは一部だけ短くなってしまった髪を指先で弄んでいる。 「ね、いっそタバサくらい短くしちゃおうかしら」 「ダメ」 「あら、どうして? 似合わないかしら」 「なんとなくだけどダメ」 級友たちの他愛のない会話を聞きながら、ルイズはこれからの事を考える。 さしあたって湯船の2人に礼を言わなければならないのだが、いざ改まってみるとどう話を切り出して良いかわからないものだ。 これがクロコダインなら素直に言えるのだが。 髪を洗いつつ内心頭を抱えていると、何の前触れもなく後ろから胸を鷲掴みにされた。 「!!!!!!!!」 声にならない悲鳴を上げて体をのけぞらせるルイズに、犯人であるところのキュルケがそっと溜息をつく。 「ああ……相変わらず残念な胸ね……。アルビオンではちょっと憧れたけど、やっぱこれはないわ……」 「な、ななな、なにを失礼な! どどどんだけツッコミ入れ放題な言動かましてるのよツェルプストー!」 ちなみにルイズがキュルケをツェルプストーと呼ぶ時は大抵立腹している。すごく立腹している時はこれがゲルマニアンになるが。 「いやね、あのワルドと戦ってる時に胸が嫌ってほど揺れちゃってさー。あれって無駄に痛いのよ、マジで」 ほほうそんな経験などついぞした事のないあたしに対する挑戦か、とルイズは思った。 「考えてみると胸が薄いほうが敵の攻撃にも当たりづらいでしょ? 体積的な意味で」 (落ち着いて、落ち着くのよルイズ! 一応これは見た目落ち込んでる風にも見える可憐な私をコイツなりの方法で慰めようとしているの! 多分だけど!) 鎌女の脳内では、『清らかなルイズ』が説得を開始していた。 しかし抵抗しないのをいい事に右右左左上下な感じでルイズの胸を揉んでいるキュルケの勢いは留まることを知らない。 「あと普通に生活してても肩は凝るしでいい事ないとおもってたけど、実際こうしてみるとやっぱりあったほうがいいわね胸」 (OKわかったわ今あたしはキレていいブリミル様だってそうする筈よルイズ) 『清らかなルイズ』はあっさりと自説を変更した。 (ああ、コイツの胸が魔法で大きくなっているなら虚無魔法でツルペタにしてやるのに!) 始祖も6000年後に子孫が自分の魔法をそんな事に使おうとするとは夢にも思っていなかっただろう。 どう反撃しようかと思ったところで、今度は突然キュルケの方が声にならない悲鳴を上げて体をのけぞらせる。 見れば、湯殿ではばっちり持ち込んでいた古風な大振りの杖を抱えたタバサがこちらに向けて親指を立てていた。 どうやら魔法でお湯を氷水にしてキュルケの背中にかけたらしい。 流石シュヴァリエ良い仕事をする。ルイズは笑顔で親指を立てのだった。 「ちょ、タ、タバサ!そりゃ貴女的にも聞き捨てならなかったかもだけど、今のはマジ心臓止まりそうになったわよ!?」 「てや」 背を向けたキュルケの後ろから、お返しとばかりにルイズが胸を揉みしだく。 「……なに、この、なに……? このふざけた塊……」 想像以上のボリュームと弾力に、心が折れそうになる虚無の使い手だった。 前ページ次ページ虚無と獣王
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前ページ次ページゼロの剣士 ヒュンケルがタバサと話している頃、ルイズは所在なさげに部屋を歩き回っていた。 その幼くも美しい顔はくしゃみをこらえたネコのような面相で、なんともむず痒い微妙な雰囲気を漂わせている。 ルイズが考えているのは無論、使い魔のヒュンケルのことだった。 思えばあの平民を呼んで以来、ルイズの心は平常心という言葉からはかけ離れたところにあった。 ルイズにとってヒュンケルという人間との関わりは、予想外の連続だったのである。 彼は瀕死かと思えばすぐに回復し、冷たいやつかと思えば意外と優しくて、ただの平民かと思えばとても強くて――。 こうまでコロコロ変わられると評価のしようもなく、ルイズはヒュンケルに対する態度を決めかねていた。 もちろん彼女はご主人様で、ヒュンケルはその使い魔だという前提は変わらない。 変わらないのだがなんというかその、予定よりもう少し待遇を良くしてやってもいいかなぁと思ったりもする。 例えばそれは、やらせるつもりだった家事雑事を免除するとか、食事をルイズの隣の席でする権利をあげるとか、 その他おおよそヒュンケルにとっては意味のなさそうなものだったが、彼女は大真面目に頭を悩ませていた。 目下ルイズの課題は、帰って来たヒュンケルにかける第一声についてである。 ご主人様としての威厳を保持しつつ、ヒュンケルへの親密さをアピールする必要がこれには求められる。 「おかえりなさい……はダメね。ま、まるで、同棲してるカップルみたいだし……。 『遅かったわね』はなんだか嫌味だし、『よくぞここまで来た』は大魔王みたいだし……」 すっかり自分の世界に入ってしまったルイズは気がつかなかった。 背後のドアがそっと開き、そこから誰かが入ってきたことを。 ルイズは相も変わらずぶつぶつ呟きながら、台詞に合わせた百面相に忙しい。 「や、やっぱりインパクトが大事かしら。ご主人様の威厳をビシッと感じさせるような……」 「そんなんじゃだめよお。レディは威厳なんかより色気よ色気」 「そう言われても私のお乳じゃあ……ってその声まさかっ……!?」 ごく自然に一人言に割り込んできた声にぎりぎりと振り向くと、そこにはヴァリエール家累代の敵が立っていた。 キュルケ・フォン・ツェルプスト―はルイズを見て小馬鹿にしたように笑うと、ここがさも自分の部屋であるかのような自然さで椅子に座った。 落ち着いた様子のキュルケとは対照的に、なにか致命的なところを見られてしまった気がするルイズの顔は青くなったり赤くなったり、 もしや魔法でも使ってるんじゃないかというほどの形相を呈している。 「どどどどどうしてアンタがこの部屋にいんのよ! さささささっさと出ていきなさいよ!!」 ここ半年の中でも、このドモリっぷりはナンバーワンかもしれない。 吹き出しそうになるのを堪えながら、キュルケは椅子の上で形のいい脚を組みかえた。 「あら、別にいいわよ? せっかくだから風上のマリコルヌのところにでも遊びに行こうかしら。 話題は……そうね。 『ゼロのルイズが部屋で何をしていたか』、なんて面白そうじゃない?」 キュルケの出した名は、ルイズと特に馬の合わない同級生のそれだった。 気弱なくせにお調子者で小太りで風邪っぴきなアイツがこんなことを知ったらと思うと、サーっと顔から血の気が引いていく。 「よ、要求はなに? お金? 宿題? 言っておくけどヒュンケルの治療に秘薬を使っちゃったから、お小遣いなんてそんなにないわよ」 うっすらと涙を浮かべているルイズの顔は世にも哀れなものだった。 「仇敵に弱みを握られるとは一生の不覚!」ってなもんである。 キュルケはルイズのその様子に満足そうに頷くと、杖を振るって紅茶をティーカップに注ぎ、喉を潤した。 「要求なんて別にないわよ。フレイムに廊下を探させてたんだけど、なかなかダーリンが捕まらないからこっちに来ただけ。 まあ、おかげでいいものが見れちゃったけど」 キュルケがクフフと笑うのを、ルイズは今度は赤くなった顔で睨んだ。 「なにヌケヌケと人の使い魔をたぶらかそうとしてんのよ! い、言っておくけど、あいつのご主人様はわたしなんだからねっ!」 「あ~ら、別にあたしはご主人様になろうなんて思ってないわよ? あたしが彼に求めているのはそんなんじゃなくて、身を焦がすような情熱よ! ……というわけで、ルイズがご主人様で、あたしが恋人ってことでいいじゃない?」 それで大円団よ、と手を上げるキュルケをルイズは睨んでいたが、しばらく経つと溜め息をついて力を抜いた。 「ねえ、真面目な話し、アンタはヒュンケルのことどう思ってる?」 「どうって、いい男じゃない。 クールだし強いし、あたし好きよ、ああいう殿方」 「……アンタはそればっかりね。昼の授業の後に色々聞いてみたんだけど、 アイツ、遠い国から来たとか溶岩に落ちて怪我したとか適当なことばっか言って誤魔化すのよ。 悪いヤツじゃないと思うけど、何か後ろ暗いところでもあるのかしら?」 呆れたように首を振りつつルイズが言うと、キュルケは唇に指を当てて考えた。 どうでもいいことだが、一つ一つのしぐさがいちいち色っぽいのがルイズの癪に障る。 「あたしには分からないわ、ルイズ。でもね、アンタが今言ったとおり彼は悪い人じゃないわ。 ギ―シュに、アンタに対しても謝らせたんでしょう?」 言われたルイズは顔を赤らめてうつむいた。 キュルケの言うとおり、決闘の後、ギ―シュはシエスタとルイズの双方に詫びを入れに来た。 シエスタには理不尽に当たったことに、ルイズには公衆の面前で侮辱して笑ったことに、ギ―シュはそれぞれ謝罪した。 それは頭の冷えたギ―シュが半ば自発的にしたことでもあったが、ヒュンケルが関与していたことは疑いない。 ――使い魔はメイジの力に比例する。 決闘後、同級生が自分を見る目に変化が起こったことに気付いた時、ルイズはひそかに喜んだ。 もしかしたらヒュンケルは、シエスタのためばかりじゃなく、ルイズのためにも戦ってくれたのかもしれない。 それは勝手な推測にすぎなかったが、そう考えると胸の辺りがなにか温かいもので満たされた。 「……それにしてもこの剣、凄い業物ね。彼の腕前もあるんでしょうけど、青銅のゴーレムを斬って刃こぼれ一つないわよコレ」 物想いに耽ったルイズの気分を変えるように、キュルケは壁にかけられた剣を話題に出した。 抜き身の魔剣は魔法のランプの明かりを受けて、妖しく輝いていた。 キュルケも剣の相場など詳しくないが、これを買ったなら相当の金額になるのではないかということはよく分かる。 少なくとも、普通の平民の身で持てるものではない。 キュルケはますますヒュンケルに興味を惹かれる自分を感じた。 「これだけの剣を飾っておくだけなのも、あれだけの剣士を丸腰にしておくのも、両方もったいないわね。 抜き身だから持ち歩けないっていうんなら、私がダーリンに鞘をプレゼントしてあげようかしら?」 言ってからこれは名案と思ったのか、キュルケは指を鳴らしてにんまり笑った。 ちょうど虚無の日も近いし、デートの準備をしなきゃと立ちあがる。 はしゃいで部屋を出て行くキュルケを不思議に静かに見送った後、ルイズはいそいそと財布を取り出して中身をぶちまけた。 大公爵家の娘であるルイズがいう「金欠」など、一般庶民のそれとはまったく違う。 ヒュンケルのために高価な秘薬を買ったとはいえ、金貨はたんまりとあった。 「悪いわね、キュルケ。アンタの計画はご主人様と使い魔の絆を深めるという、崇高な目的のために使わせてもらうわ!」 もはや部屋にはいない仇敵へうそぶいたルイズの目がキュピ~ンと光る。 ご褒美という名目のプレゼント。 ご主人様として上の立場を誇示しつつ使い魔を喜ばせる方法として、これ以上のものがあろうか? ルイズは予定表を取り出してぱらぱらとめくると、次の休日の欄にでっかく「お買いもの」と書き上げた。 前ページ次ページゼロの剣士
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前ページ次ページ虚無と爆炎の使い魔 ――第7話―― 「どうしたの……もう終わり?」 二度目の沈黙が訪れたヴェストリの広場に、ルイズの冷厳な声が響く。だが周りからの反応は無かった。ルイズ達を取り囲をでいるギャラリー達のほとんどは、口を開けたまま言葉を失っている。 ――あの『ゼロ』が、ギーシュを圧倒している―― にわかには信じ難いその光景を目にした事で、それ以外の事が思い浮かばなかったのだ。 「ふ、ふん。い、いい気になるのはまだ早いんじゃないかな?僕のワルキューレは七体まで出せる。君はまだ二体を倒したに過ぎないのだよ?」 三体目のゴーレムを錬成し、挑発ともとれるルイズの言葉を、どもりながらギーシュは反論した。とは言え、それは外見だけの話であるのだが。 ギーシュは内心焦っていた。その表情には、これまでの余裕は無い。決意に燃えるルイズの気迫に、どこか圧されていたのだ。錬成したワルキューレの背中越しに、ギーシュが前を見遣る。 予想外の展開に、周囲がざわつく中、ピンク髪の少女だけは、微動だにしない。彼女の方が優位であるにも関わらず、である。周囲に目を向ける事も無く、ただじっと、自分の出方を伺っていた。 ――どうすれば良い?―― このまま何も出来ずにやられるなど、みっともない事この上無い。そう思い込むと、こと格好を付ける事に関しては、とても優秀な、ギーシュの薔薇色の脳細胞が再び活性化を始めた。 そう、全てはルイズの爆発に尽きる。どういう訳かあの落ちこぼれは、いつの間にか爆発をコントロールする術を見つけていたらしい。そこまで分析した途端、はっ、と気付く。 ――そうだ、爆発をコントロールできると言うのなら、何故僕をさっさと吹き飛ばさない?―― 疑問と違和感が同時に浮かんだギーシュは、先のワルキューレが倒された光景を思い出す。確かあの時は、自分とルイズとの中間辺りで爆発した……。それらの事象に共通する事柄と言えば―― 「そうか、距離だ。君の爆発は射程が限られているね?おおよそ、10メイル強と言った所か!?」 「!!」 ルイズがどきりとした。その顔を見たギーシュは、ほくそ笑む。どうやら自分の推理は間違ってなかったらしい。 ここに来る前、ルイズは何度か試し打ちを行っていた。結果は……ギーシュの推理通りである。それ以上の距離を狙っても、てんで当たらなかったのだ。昨日の戦いの時は、もっと調子が良かった筈なのだが……。 ――ううん、あれは例外ね―― ルイズが頭を振る。あの時は死に物狂いだったのだ。それはキュルケ達が最後に放った炎の竜巻などを見ても明らかである。ハドラーと戦った全員が、限界、いや、むしろ限界以上の力を捻り出していた節すらあった。 ともあれ、今の自分には、そこまでの力を出せそうには無い。ルイズはそう思うと、自嘲気味に目を伏せた。その様子に、ギーシュは更に気を良くする。 すっかり立ち直り。落ち着きを取り戻していた頭には、先程までは気付けなかった新しい情報が、次々と舞い込んで来ていた。 ――なら、次だ―― 自分の予想を確かめるべく、ギーシュが杖を振った。先程の光景を再現したかの様に、ワルキューレが三度目の突撃をかまして来る。はっ、と顔を上げたルイズは、魔法に集中すると、前方へと杖を向けた。だが―― 「今だ!」 ギーシュが杖を振ると、ワルキューレが横に跳んだ。一歩遅れて、先程までゴーレム達がいた場所に、爆発が起こる。 「避けた!?」 目を丸くして、またもルイズが驚いた。その表情にギーシュは、再び自分の予想が当たっていた事に思わず雄叫びを上げそうになる。 だが貴族たるもの、それを表に出す様な下賎な振る舞いはするべきではない。すんでの所でそう思い直したギーシュは、手にしている薔薇を口元に持って来て、ただニヤリと、不敵な笑みを浮かべた。 「僕を甘く見ない事だね。君の魔法はさっきまでのやり取りで、把握したのだよ」 「くっ!」 口上の間、動きが止まっているワルキューレに、ルイズは再び杖を向けた。その光景を見たギーシュが、ほぼ同時に、杖を振る。 先に反応したのはワルキューレの方であった。地面を蹴ってその場から離れた直後、破壊すべき対象がいなくなった無人の空間に、再度爆発が起きる。 「君のそれは、平民どもの持つ銃みたいなものだ。一度に一発ずつしか撃てない上に、集中が必要な所為か、狙ってから爆発までの間に隙がある。そうと分かれば話は簡単だよ。君が杖を向けた瞬間に、その射線から外れるだけで、簡単に避ける事が出来るのだからね」 鼻高々な様子で説明をしたギーシュが杖を振ると、ワルキューレが前後左右に軽快なステップを踏む。この動きについて来れるのかい?と言わんばかりの、見え見えのデモンストレーションであった。 ワルキューレがステップを踏んでいる間も、ルイズは呆気に取られたままであった。自分の魔法にそんな弱点があったなど、気付きもしなかった。 ――そう言えば、今まで動かないものばっかり狙ってたわね―― ルイズがふと思い出した。昨日のハドラーは、戦いの間碌に動かなかったし、ここに来るまでに、試し打ちした石や岩は言うまでもない。先のニ体も、一直線に突撃して来たからこそ命中したのだろう。 とはいえ普通のゴーレムでは、決してこう言った展開にはならなかったろう。ゴーレムというのは普通もっと動きの鈍いものだからだ。 ギーシュの操作技術が中々優秀な事、ワルキューレの中が空洞であり、その分身軽な造りだった事。これらもろもろの出来事が今の事態を生んでいた。 (もっとも、ワルキューレの中身が空っぽなのは、単にギーシュの力が足りないだけだったのだが) 「降参したまえルイズ」 検証とデモンストレーションを終え、自分の下にゴーレムを戻したギーシュは、高みから見下ろす様な視線で、ルイズに告げた。 「……何ですって?」 「降参したまえと言ったんだよルイズ。今ので分かっただろう?所詮、君の魔法では僕のワルキューレに勝てない」 すっ――と、ギーシュの目が冷たさを増した。 「これは警告だよ。次は三体を同時に掛からせる。その意味が分かるだろう?」 「……」 ルイズは黙ったままギーシュを睨み付ける。分かっている。例え一体を爆発させられても、後の二体が自分へ襲い来ると言う事だ。その上、自分の爆発の弱点については、先程ありがたい解説を頂戴したばかりである。だからと言って―― 「……降参は、無しよ」 自身の『目的』は一応達成出来た。だがメイドとの、ハドラーとの『約束』は、まだ残っている。何が何でも、この決闘は、負ける訳にいかなかった。 ルイズの言葉を神妙な面持ちで聞いたギーシュだったが、やがて芝居掛かった仕草で顔を押さえると、頭を振った。 「やれやれ……。女性を傷付けるのは僕のポリシーに反するのだが……仕方無い」 ギーシュが新たに二体のワルキューレを作った。 「医務室のベッドで少し頭を冷やしたまえ。行け!ワルキューレ!」 ルイズのいる場所に杖を向け、叫ぶ様にギーシュが命令を下した。主人に頷く事も無く、指示を受けた三体の戦乙女達は、ただ黙って横一列となり――真っ直ぐ突撃して来た。 「――来たわね!」 ルイズが僅かに片足を引いた。前足へ体重を乗せて、やや前傾気味になり、いつでも走り出せる様に体勢を整える。距離を詰めていたワルキューレ達がハドラーの前を通過し、ルイズの射程距離に入った。その時―― 「散れ!」 ギーシュの掛け声に合わせ、左右のワルキューレが斜め前方へと加速した。中央のゴーレムを頂点とした三角形を作って、ルイズを包囲せしめんとする。 ――今だ!―― 囲んで来るであろう事を、あらかじめ予想していたルイズは、散会した直後、杖を正面――中央にいたゴーレム――へ向けた。同時に、少女の手の動きを注視していたギーシュも、それに反応して、杖を振る。 瞬間、一直線にルイズへと向かって来ていた正面のワルキューレが、弾かれたように、右に跳んだ。その直後、またも一歩遅れる様にして爆発が起きる。 ギーシュが解説した通りの展開である。――やはりルイズの魔法では――多くのギャラリー達がそう思ったその時だった。 「!」 観客達の目が、突如、釘付けになる。空振りに終わった筈の、爆発の中から突然、ルイズが姿を現したのだ。 魔法を唱えたと同時に、ルイズは前方へ駆け出していた。自分の爆発はおそらく確実に避けられる。ならば避けた隙を狙って、包囲を突破し、一気にギーシュ本人を叩く事を考えたのだ。 ワルキューレの脇をすり抜けたルイズは、作戦が上手くいった事を内心で喜ぶ。だが―― 「そう来ると思ったよ」 どこか冷めた様な声が聞こえた次の瞬間、ルイズの身体を衝撃が襲った。いつの間にか、ギーシュが錬成していた四体目のゴーレムが、ルイズに強烈な体当たりをかまして来たのだ。 完全に予期していなかったタイミングでの攻撃に、ルイズの身体が派手に吹っ飛んだ。 「う……」 勢い良く地面を何度も回転し、仰向けになってようやく開放されたルイズは、苦し気な呻き声を上げる。その直後だった。 「チェック・メイトさ」 唐突なギーシュの宣言と同時、ルイズの両腕にいきなり重みが走る。二体のワルキューレ達が、ルイズの腕を踏みつけていた。足元にも、いつの間にかもう一体が待機している。三方から完全に組み伏せられた格好だ。 ルイズは何とか抵抗しようとしてみたものの、女の自分ではとても動かせそうに無い様だった。それでも脱出しようと懸命に抵抗する。 もぞもぞと身体が動く度に、男性ギャラリーからの熱い視線が大いに注がれた。何故か半裸且つ、全身が軽い火傷だらけの、小太りな生徒などは、熱心を通り越し、もはや生肉を前にした獣の目つきとなっている。 「さて、これで君の動きは完全に封じた訳だ……だから、これが最後だよ。まだ、やるのかい?」 余裕と、少しばかりの嘲りが混じった顔をしながら、ギーシュが言った。ルイズは僅かに首を持ち上げ、声の主を見る。 視線の先のギーシュは、ニヤついた笑みを浮かべていた。『ゼロ』如きが自分に敵う訳が無い。そんな笑いである。 ――負けられない―― そう、より一層の決意を固めたルイズは、ギーシュの目をきっ、と見返すと、力を込めて返答した。 「ええ、勿論よ。……その表情が変わるまで、何度だって、やってやるわ」 ルイズの力強い声に、ギャラリー達が湧いた。いいぞー、と素直に応援、又は、面白がる者。この状況で何を言わんとするや、と呆れ顔な者。その反応は様々だ。 ギーシュの反応は後者の方であった。肩をすくめながら、やれやれとばかりに息を吐く。 「まったく、君の負けず嫌いには恐れ入るね。……まあ君の気持ちは、この僕も良く分かった」 ギーシュが杖をげ掲げた。同時に、ルイズの腕に、更にゴーレムからの圧力が増す。 「――これ以上、妄言を吐かなくても済む様に、僕も協力しようじゃないか。やれ!ワルキューレ」 ギーシュの命令で、三体のワルキューレが一斉に腕を振り降ろした。観衆が目を見張る。ほんの数秒後には、その無慈悲な冷たい拳が、ルイズの全身に食い込むに違いない。そう、誰もが確信したその時だった! 「――負ける、かああああ!!」 手首を反し、杖先を自分の目の前に向けたルイズが、咆哮を上げた。瞬間、目標まであと数サントに迫ったゴーレムの腕が、いきなりあらぬ方向にひしゃげる。皆に見えたのはそこまでだった。そして―― ヴェストリの広場に大爆発が起きた。今までのやり取りが、ままごとに見えた程の激しい爆風と轟音が発生する。 数秒後、近くにいたギャラリー達のローブは根本からめくり上げられ、耳の中はしきりに異常を訴えていた。空高くまで上がる土煙が、今も引き続き、規模の大きさを主張し続けている。 「な……何が起こったんだ!?」 狼狽をした顔を隠そうともせず、ギーシュが困惑した声を上げた。状況を確認したいものの、爆心地では今も熱と土煙が立ち上っている。その時だった。 「ん?何だ?」 突如眼前の地面に降って来た何かの欠片を見て、ギーシュが声を上げた。だがその直後、 「う、うわあっ!!」 ギーシュの声がひっくり返った。同じ様な欠片が大量に、雨の如く上空から降り注がれたのだ。 一体何事だ?そう思ったギーシュの前に、少し大き目な『それ』が、足元に転がった。 「――!!」 ギーシュの顔がみるみる青くなる。真っ黒に煤けたそれは、間違いなくワルキューレの頭に付いた羽飾りであった。ということは―― 「まずい、ワルキューレ!」 ギーシュが慌てて残ったゴーレムに命令しようとしたその瞬間、少し離れた場所にいた乙女像が、派手な爆発音を上げて破壊される。その後ろからは、風で舞い上がった桃色の髪――ルイズが、眼光鋭く顔を覗かせていた。 『――!!』 まるで昨日の『悪魔』を思い出させるその姿に、誰もが一瞬、息を呑む。 その一瞬の隙を突き、ルイズは動き出した。 「爆発の……特徴?」 決闘の少し前、ヴェストリの広場へ向かう途中、ハドラーが投げ掛けた言葉に、ルイズが首を傾けた。 「うむ。主の爆発で、一つ気付いた事がある」 「それって……?」 やや緊張した顔のルイズが聞き返す。間を置いて、ハドラーが切り出した。 「距離だ」 「……距離?」 「そうだ。どうやら主の魔法は、距離が近い程威力が高くなるらしい。昨日の戦いや、教室での出来事を思い出してみよ」 言われてルイズは、記憶を探り出した。昨日からこっち、間近で魔法を使った事と言えば……ハドラーの懐に飛び込んだ時と教室で『錬金』を唱えた時だ。成る程、いずれの場合も、普段の爆発に比べ、遥かに規模が大きかった。 「……ええ、確かにそうね」 回想を終えたルイズが、同意する。中断していた授業が再び始まる様に、ハドラーは淡々と、先を続けた。 「恐らくは、威力を高める事だけに、集中出来るから、なのだろうな。爆発させる場所が自分の目の前ならば、いちいち狙いを付ける必要も無い」 ハドラーの言葉にルイズが、はあ、と感心じみた声を上げる。ただがむしゃらに唱えていただけの魔法に、そんな違いがあったとは思いもよらなかった。 「……何だか、悔しいわね」 「何の事だ?」 訝しげに眉根を寄せたハドラーを、ルイズは、じっ、と見つめた。 ――自分がずっと探していた答えを、この男は、いともあっさり見つけてしまう―― 何とも言えぬ胸中に、使い魔(仮)に対しての、嫉妬や羨望にも似た、色々な感情が混じり合う……。そんな、石膏で固まったみたく、渋面を崩さないルイズに対し、ハドラーは、軽く息を吐くと、諭す様な口調で語り掛けた。 「俺は、闘争のみに生きて来た様な男だ。……主の魔法の事も、それに当て嵌まっただけに過ぎん。この世界の魔法とは異なるものの、俺も『爆発』の使い手なのだからな」 そう言って、ニヤリと笑う。ハドラーに、自分の心をずばり言い当てられてしまい、ルイズの顔は、みるみる間に赤くなった。 「な、何で……」 「以前の俺もそんな表情をしていた事がある。今の主が何を思っているのか、何と無く分かるつもりだ」 やや自嘲気味に話すハドラーの胸に、かつての部下であった男の姿が浮かんだ。自分を越える力を持ち、勇者の父親でもあった男。大魔王が奴に信頼した声を掛ける度に、自分も同じ様な顔をしていた事を思い出す。 「……主はいずれ強くなる。焦る必要は無い」 「そ、そう……?」 あくまでも真摯な様子で問くハドラーに、さっきとは違う理由でルイズは赤くなる。が、 「……しかし、主は非常に分かりやすい顔をする。俺もそうだったが、戦闘中は、あまり感情的にならない事だ」 付け加えられたダメ出しに、ルイズは顔を通り越し、頭まで真っ赤にするのだった。 問答を思い出し、ルイズが足を踏み出す。先程の一撃で負傷している上、体力、精神力ともに、限界に近い。それでも、何とか下半身の筋肉を総動員し、怒涛の勢いでギーシュへと向かって行った。 「う、うわああああ!」 視線の前方にいるギーシュは、パニックに近い悲鳴を上げた。ばたついた動きながらも、一足跳びで、ルイズから離れると同時に、腕を振り上げる。 ――このままじゃ間に合わない―― ワルキューレが錬成されてしまえば自分の負け。そう判断したルイズは、足を止める事無く、咏唱を始める。 何と無く気付いていた。自分の魔法は、自身の感情そのものであると。怒り・闘争心……自分の中にある、火の様な想いが、爆発の威力を強くする。だが……。 ――感情的にならない事だ―― ハドラーの声がこだまする。確かに、感情は大きな力である。だがそれだけでは、敵は倒せない。全てを理解した上でルイズは思案した。今自分が何を求め、どうするべきか。 ――威力は要らない。欲しいのは距離。そして、それに必要なのは恐らく―― 半ば確信した様子で、ルイズは今までとは違うイメージで集中した。心を昂ぶらせるのでは無く、氷の様に尖らせる事。――獲物に飛び掛からんとする肉食獣の如く、今、準備は完了した。 「ワル、キューレェェェ!」 必死の形相で、薔薇を振り降ろすギーシュに、ルイズは真っ直ぐ杖を向ける。先端が指し示した、ただ一点だけを狙い、丹精に作り込んだガラス細工を叩き付ける様に、小さく、短く叫んだ。 パン、と軽い炸裂音が広場に響く。隙の無い一撃だった。が、速度を優先した分、威力や規模などは、さっきまでのものとは比較にもならない。だが―― 「なっ!?」 ギーシュの顔が驚愕で歪む。ルイズの爆発は、恐ろしい程の正確さで、ギーシュの手を撃ち抜いていた。衝撃に手放した薔薇が、スローモーションの様に空中を舞う。そして―― だん!、と、音が響く。前足を地面に打ち付けて、ルイズは止まった。膝を曲げ、前傾した上体は、剣士が『突き』を放った様にも見える。 ――いや、それはむしろ『突き』そのものだった。足と同様に真っ直ぐ伸ばされた腕。その先端に構えられている杖は、正確に、ギーシュの胸へと向けられていた。 風が――吹く。観客は皆、頭が麻痺でもしたかの様に、言葉を発しようとはしない。ギーシュですら、その中の一人に含まれていた。目を見開いたまま、魂をどこかに置いて来たかの様に固まっている。――その時。 ひゅん、と、ギーシュの頬を、何かが掠めた。急に襲って来た鋭い痛みに、ギーシュが手をやる。 「え……?」 掌にべっとり付いた血に、ギーシュが呆然とした表情で尻を着いた。落ち着かない様子でしきりにまばたきを繰り返す。その視線の先には、赤く染まった自分の杖――薔薇――が転がっていた。 「あ…………」 間の抜けた一言を最後に、ギーシュから反応が消えた。やや間が空き、やがてゆっくりと構えを戻したルイズは、大きく息を吐く。静寂な広場に少女の呼吸音が響き渡る度、止まっていた周囲の時間は、少しずつ動き始めた。 「お、おい……」 「ああ、これってまさか……?」 ざわつきが少しずつ、だが、着実に大きくなっていく。立っている者と倒れている者。そこから浮かび上がる一つの事実が、この広場に立ち込めようとしていた。 「嘘……だろ!?『ゼロ』のルイズが、ギーシュを……?」 一度決定された事実は、もはや覆る事は無かった。誰かの発したその一言は、波となって、徐々に大きくなっていく。 「マ、マジかよ!?」 「『ゼロ』が『青銅』を……!!」 「ま、まだ慌てる時間じゃない!これはきっと孔明の(ry」 どよめきが刻一刻と場を支配していく。そんな中、ようやく呼吸を整え終えたルイズは、ふと、周りの様子が変化している事に気付き、顔を上げた。 「あ……」 視線の先には、友人達の姿があった。ルイズと目が合うと、キュルケは、穏やかな表情を浮かべ、タバサは親指を立てる。 そのの仕草で、ようやく事態を察したルイズはぐるりと周りを見渡した後、照れ臭そうに笑う。 ――どよめきは、歓声へと変わった。 ――僕は……―― 騒ぎの中、ギーシュは未だ、虚ろな思いに囚われていた。 ……余裕の展開になる筈だった。その上で、自分は鮮やかに勝利を収め、目の前の娘に、貴族というものについて教育してやるのではなかったのか? ……とんだ恥晒しだ。地面の砂を掴み、ギーシュが一人思う。そんな時。 「――『ゼロ』に負けるなんて、ギーシュも情けないな」 不意打ちの様な声に、ギーシュがはっ、とした表情になった。殆ど呟きほどの声。だが、その一言が、何を意味するのか、ギーシュは気付いてしまった。 「大口叩いておいて……ざまあねぇな」 「貴族の資格が無い『ゼロ』に負けたんだろ?ならあいつは何なんだ?」 「貴族(笑)の皮を被った平民とか?」 ぽつ、ぽつ、と連鎖していく声に、ギーシュが必死に耳を塞いだが、その程度では、物音は完全に遮断出来ない。それどころか、反って敏感になった意識は、雑多な音の中から、自分へ向けられた侮蔑の言葉を、正確に拾い上げてしまう。 ――止めてくれ……止めてくれぇ!―― 学院一の落ちこぼれに敗れたという事実。それは、次は自分が、嘲笑の対象に祭り上げられる事を意味していた。耳に入り込んで来る、心無い声に、ギーシュの心が悲鳴を上げた。 ――モ、モンモランシー―― すがる様に、ギーシュは(本命の)恋人の名を浮かべた。結果は駄目だったが、途中までは自分が優位だったのだ。もしかしたら、そんな自分の勇姿に心を動かされたかもしれない。 現実逃避じみた想像をしながら、愛しい恋人の顔を探す。だが、見慣れた縦ロールの少女の姿は、どこにも見当たらなかった。 ――終わった―― 絶望的な思いが頭を支配し、ギーシュはその場にうずくまった。恋人に捨てられた上、この先ずっと、嘲笑の対象にされる。絶望を通り越して、笑い出したくなる気持ちだった。と、その時。 「?」 ギーシュが表情を変えた。今まで碌に、隙らしい隙を見せなかったルイズが、突如背中を向けたのだ。 ――ああ、そう言えば―― ルイズが勝利宣告を受けてなかった事を思い出す。が、それだけだった。気付いただけで事態が変わろう筈も無い。そう思い、再び無気力を貪ろうしたギーシュに、突然、声が響いた。 ――チャンスじゃないか。『ゼロ』は後ろを向いて、君の薔薇は目の前に転がっている―― 何を馬鹿な事を……。どこか聞き覚えのある声に、ギーシュの表情が、そう反論した。が。 ――馬鹿は君の方だ。考えてもみたまえ。君は、倒れただけで『負け』ではないのだよ?―― 囁きは止まない。先程よりも、更に強気な口調だった。それにあてられたのか、少しだけはっきりした頭が、この決闘のルールを思い出す。……確かに、まだ『負け』だとは言っていなかった。だからこそルイズはあの男に、判断を仰ごうとしているのではないか。 ――理解した様だね。なら、分かるんじゃないか?今君がやる事は、ワルキューレを作って後ろからちょいと小突く。それだけの事さ。後は適当に取り繕えば、大逆転に次ぐ大逆転。つまり……君の勝利だよ。そうなれば、モンモランシーだってきっと『僕』を―― 「君は……まさか」 ぞっとして、ギーシュが震える。馴染みある声、気取った口調、そして『僕』。それはつまり―― ――まあ、そういう事さ。僕は君、君は僕だ。だから決めたまえよ。僕の言う通りにするのか。それとも……。この先ずっと惨めなままでいるかい?―― 声は、それきり聞こえなくなった。ギーシュがぼんやりと顔を上げる。目に映ったのは、無防備なルイズの背中だった。恐らく先程の一撃でダメージを負っているのであろう。酷く頼りない足取りは、『声』の言う通り、少しつつくだけで、簡単に崩れてしまいそうだった。 ――この先ずっと惨めなままでいるかい?―― 最後の言葉が胸に浮かび、ギーシュはゆっくり首を振る。決断は下された。 息を吸って、止める。震えはもう無かった。覚悟を決め、ギーシュは素早く前方へ身体を起こすと同時に、片手で地面を凪いだ。途中、馴染んだ感触を掌に確かめると、既に完了していた『錬金』の魔法を唱える。 「ワルキューレェェェ!!」 勢いを殺さず、ギーシュは、そのまま一気に薔薇を引き上げ、目標に向けた。前方に出現した最後のワルキューレが、弾丸の様に、ルイズの元へと殺到する。 「!」 異変に気付いたルイズが振り返ろうとする。が、既に遅かった。魔法を唱える間も無く、青銅の拳が唸りを上げて襲い掛かる。 「もらったあ!」 ギーシュが歓声を上げた。もはや避けられない暴力に、ルイズが目を閉じたその瞬間―― 「――――!」 金属の擦れる音が広場を包み、戦乙女の全身は鎖に包まれた。 前ページ次ページ虚無と爆炎の使い魔
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34 王子と獣王 前ページ次ページ虚無と獣王 クロコダインの肩を貫いていた『ブレイド』の刃が、突然消失した。 それはルイズの『ディスペル』がもたらしたものであったが、効果はそれだけに留まらなかった。 杖剣にかけられた『硬化』及び『固定化』の魔法はおろか、契約儀式による魔法発動の為のアイテムとしての効果も解除されている。 ただの杖剣になってしまっているので、仮に今呪文を唱えたとしても発動しないだろう。 そしてルイズの一番の望みである、ワルドの体を操っていた先住の魔法も完全に消え去っていた。とはいえ、ワルドが体を自分の意志で動かす事はまだ叶わない。 『焼けつく息』に含まれる麻痺成分は魔法とは無縁である。当然『ディスペル』でその効果が消える訳がなかった。 自分の魔法が発動したのを確認したルイズは、その余韻に浸る間もなくクロコダインに駆け寄る。 体中傷だらけの使い魔に、彼女は半泣きで頭を下げた。 「ごめんなさい、ごめんね、クロコダイン! ああ、どうしよう、こんなに火傷して……!」 元々クロコダインはこの世界には縁のない存在である。それが隣国の内乱騒ぎに巻き込まれたあげく、こんな傷を負ったのは全て自分のせいであると、彼女はそう思った。 「なに、この程度の傷など蚊に刺された様なものだ。どうという事もないさ」 そう言ってクロコダインは笑うのだが、『ライトニング・クラウド』10発を含め多くの風魔法を喰らっている以上、説得力には欠けた。 「それより謝らねばならんのはこちらの方だ。肝心な時に側にいれず、危ない目に遭わせてしまったな。本当にすまない」 「そんな事……!」 律儀な使い魔の言葉に、泣くまいと我慢していたルイズの涙腺がついに決壊した。 泣きじゃくる少女を前にしたクロコダインは、どうしたものかと困惑する。 多くの戦いを経てきた彼にとって分身する魔法使いと闘う事は別段苦にもならないのだが、自分の事を心配して泣く少女という存在はどうにも手が余る。 そんな中、天井に開いた大穴からひとつの影が飛び降りてきた。 その影はワルドの姿を捕捉すると、躊躇とか逡巡とか全くない感じで『ブレイド』を突き刺そうとしたので、クロコダインは慌てて制止する。 「待ってくれ、サンドリオン殿! 彼は単に操られていただけだ!」 その声のお陰か、『ブレイド』は硬直したままのワルドの首を皮1枚斬ったところでギリギリ停止した。 あと数秒声かけが遅かったら華麗に首が宙を舞っていたかもしれない。 体は麻痺しているが意識はある為、ワルドは内心冷や汗にまみれまくっているのだが、残念ながら外からそれが判る訳もなかった。 とりあえず刃を納めたサンドリオンはルイズの無事を確認し、仮面の奥で表情を緩ませる。 もっとも、目立った怪我がないのはルイズだけだ。 ウェールズは傷は塞がっているものの左肩には夥しい血痕が残っているし、キュルケも細かい擦過傷や小さな火傷は数知れず、髪も不自然に斬り落とされている。 なによりルイズが抱きついて離れないクロコダインは全身に火傷を負い、上半身の鎧はほとんど砕け散っている有様だ。 傷からの流血は止まりつつあるが、落雷の影響で体からは未だ小さな煙が上がっている。人間ならば生きているのが不思議なくらいの重傷であった。 「こちらは何とかなったが、上の様子は?」 怪我を意にも介さぬ様子のクロコダインの問いに、サンドリオンは敬意と畏怖を感じながらもそれを表には出さずに答える。 「差し当たって追ってきた竜騎士たちは全て墜としておいた。だがフネがこちらに侵攻しつつある。早く離脱するに越した事はないだろう」 さらっと言ってのけたが、実は追っ手の竜騎士は10を軽く越えている。それを短時間で全滅させているのだからサンドリオンの実力は相当なものだと言えた。 「失礼だが、そちらは……?」 デルフリンガーを杖の如く支えにしているウェールズの問いに軽く自己紹介する仮面のメイジを見て、クロコダインはそっと一息ついた。 いつの間にかルイズは泣きやんでくれている。後はギーシュ、タバサ達となんとか合流すればいい。 実を言うと、先刻から尋常ではない倦怠感と疲労が彼の体を襲っている。戦闘中に感じた身の軽さや汲めども尽きぬ様な闘気は、とある大魔王の空中宮殿の如く空の彼方へ消え去った様に思えた。 出来ればこの場で大の字になって寝てしまいたい位なのだが、これ以上ルイズに心配を掛ける訳にはいかないという一心で、クロコダインは努めて平静を装い続けた。 実はルイズが泣きやんだのには理由がある。 サンドリオンと名乗ったメイジがその理由な訳だが、ルイズにしてみればもう泣いている場合ではなかった。 背丈や体格、声、竜騎士を墜としたという話、そして顔の下半分を覆う仮面。 (な、ななな、なななんで母様がここここに!?) 昔も今もトリステインを代表する最強のメイジ、烈風カリン。 火竜山脈のドラゴンをまとめて吹き飛ばし、大規模な反乱をたった一人で鎮圧したとされる、ある種伝説じみた活躍で知られる存在だが、実はその正体がヴァリエール公爵夫人である事実はごく少数の人間にしか知られていなかった。 由来は不明だが『灰かぶり』などというあからさまな偽名を名乗っている以上、正体を開かすつもりはないのだろう。 しかしルイズにしてみれば家庭内ヒエラルキーの頂点にいる人物が突然前触れもなしに現れたのだから、そりゃあ涙も止まろうというものである。 ちなみにその母がアルビオンにいる理由であるが、公爵家の人間として厳しく接してきたものの実際には可愛くて仕方ない、眼に入れても痛くないと断言できる末娘が心配で心配で仕方なかったからだ。 その点では、オスマン学院長らにルイズの護衛を依頼されたのは渡りに船だった。依頼がなければ単独で後を追っていたところである。 内心における娘への溺愛という面においては夫に負けずとも劣らないヴァリエール公夫人であり、実に似た者夫婦であるといえよう。 しかしながら、当然表面上にそんな思いは出した事がない為、ルイズがそんな理由に気付く訳もなかった。 ウェールズと少しの間話していたサンドリオンがこちらを向くのに気付いたルイズは、我知らず背筋を伸ばしていた。 「大使殿、ワルド子爵の扱いは如何なさるおつもりだろうか」 母もルイズに自分の正体がばれていないなどとは思っていいないのだろうが、この場では私事より公の立場(とは言え偽名なのだが)を優先させた様であった。 「い、いい、いつからかは不明ですが、操られていたのは確かな様です。その術も今は解けたので、トリステインまで一緒に帰るつもりでしたが……」 ふむ、とサンドリオンは考え込む素振りを見せる。 ルイズの後ろではフレイムに寄りかかったキュルケが「いっそここで後顧の憂いを断っといた方がいいんじゃない?」などと不穏な事をつぶやいていたが、んな事できるかと思う。 「操られていたにせよ、何らかの情報を知っている可能性は捨てきれないのではないかな。どのみち暫くは動けないのだ、途中で暴れる事もないし連れていってもいいだろう」 主の意を汲み取ったのか、クロコダインも援護を飛ばす。 結局共に脱出するという結論に至ったのだが、念の為にとサンドリオンが外套の後ろから取り出したロープで麻痺状態のまま拘束されるワルドだった。 「では、すまないが地下港までご足労願おう」 残っていた秘薬とサンドリオンの『治癒』でとりあえずの応急処置をした一行に、ウェールズはそう言った。 自分が乗る『イーグル』号も、非戦闘員を乗せた『マリー・ガラント』号も地下の秘密港に係留されているのだ。 サンドリオンの話によればレコン・キスタの軍勢はまだ上陸していない。連中の最終通告を信じるなら戦闘開始は正午。まだ時間は残されているが、あの貴族派がそんな約束を守るという保証もなかった。 「……いや、大丈夫だ。このままここにいてくれ」 そう答えたのはサンドリオンである。 早く脱出するべきだと唱えていたのにどういう事かとキュルケが言おうとした時、突然『ライトニング・クラウド』で砕かれた床がぼこりと盛り上がった。 「な、なに!?」 大量の土を押し退けて現れたのは熊ほどの大きさもある巨大なモグラである。モグラは辺りを見渡すと、まっしぐらにルイズに向かっていく。 「わ、ちょ、ちょっと!?」 デジャヴを覚えつつルイズは仰け反った。正確にはこのモグラ、ルイズではなく彼女が持っている『風のルビー』『水のルビー』に反応しているのだが。 「やや、ほんとに辿り着いたのか! 凄いぞヴェルダンデ、流石は僕の使い魔だな!」 そんな台詞を吐きつつ床の穴から顔を出したのはギーシュであった。少年が級友に襲いかかろうとする自分の使い魔を止めている間に、穴からはタバサともう一人のサンドリオンが続けて姿を現す。 「なるほど、地下から最短距離で来たのか」 宝石を好物とするジャイアント・モールの嗅覚を頼りに、港から一直線に掘り進んできたらしい。 「うわ! 何かねクロコダインのその怪我は! ワルド子爵も何か焦げた上に縛られてるし!」 状況がさっぱり飲み込めないギーシュをよそにタバサはキュルケから事の次第を聞き、サンドリオンは『遍在』(空から降りてきた方だ)を解除して情報を共有化した。 「さあ、時間がない。急ぐとしよう」 クロコダインはそう言って、ぐるぐる巻きにされたワルドを抱えあげた。 ヴェルダンデの掘った穴はなんとかクロコダインでも通れる程の大きさだった。戦闘時の緊急回避や移動の時に地下を利用するのは、かつての自分を彷彿とさせる。 キュルケとタバサはフレイムに跨り、ルイズはクロコダインの肩に座る。動けぬワルドは反対側の肩に担ぐ事で一行はかなりのスピードで地下へと進んでいった。 「よし、着いたか」 やがて光る苔に覆われた鍾乳洞へ辿り着いたウェールズたちは、岸壁にまだ2隻のフネが止まっているのを確認し安堵の笑みを浮かべる。 「ここでお別れだ、ラ・ヴァリエール嬢。短い間だったが、迷惑をかけて済まなかったね。……本当に、ありがとう」 「ウェールズ様……」 「このまま我々は『イーグル』号で出撃する。敵の目を引きつけている間に君たちは脱出するんだ」 差し出された右手をおずおずと握り返しながら、ルイズは何と声を掛ければいいか悩んだ。 最早引き留める事が出来ないのは、昨日の時点で判っている。彼らは誇りを抱いたまま死出の旅に出る為ここにいるのだ。 「何か、姫様にお伝えする事はございますか……?」 結局思いついたのは、そんなありふれた質問だった。 「そうだな……。ウェールズは勇敢に戦い、そして死んでいったと、伝えて貰えるかな」 返答もどこかありふれた台詞だったが、その時のウェールズの表情を、ルイズは忘れまいと心に誓った。 「そんな顔をしないでくれ、ラ・ヴァリエール嬢。君のような貴族がアンの近くにいてくれるのなら、きっとトリステインは大丈夫だろう」 再び泣き出しそうになったルイズの頭を軽く撫でた後、亡国の王子はクロコダインに向き直る。 「貴方がいなければきっと私は礼拝堂で死んでいただろう。実に見事な戦い振りだった。出来る事なら、もっと早くに逢いたかったな」 ぐ、と右の拳を突き出すウェールズに、クロコダインもまた握り拳を合わせた。 「誰に何を言われようと、男が信じた道を進めるならばそれでいいとオレは思う。だからこそ、最後まで抗ってみてくれ。──こんな時に言う台詞ではないかもしれんが、ウェールズ殿の武運を祈っている」 「ありがとう」 一瞬、ウェールズが名残惜しそうな顔をした様な気がしたが、それを確認する間もなく彼は『イーグル』号へと駆け寄っていった。 打ち合わせ通りに『イーグル』号が出航する。アルビオンの下から姿を現したフネはたちまちスピードを上げてレコン・キスタ艦隊へと突き進み、それを迎撃すべく敵艦からは火竜や風竜に乗った騎士たちが緊急出動していた。 『マリー・ガラント』号には女官や王党派メイジたちの家族が乗り込んでいたが、その中の1人が鳥の使い魔を斥候代わりに出している。脱出するタイミングを見計らう必要があるからだ。 『イーグル』号が更にスピードを上げたという報告を聞いた船長は、部下たちに出航を命じた。 この港に来る時はガイドが必要だったが、流石は熟練の船乗りたちと言うべきか『マリー・ガラント』号は問題なく濃い雲の中を進んでいく。 船長には王党派が最期にどんな戦法を取るか、おおよその見当がついていた。その考えに間違いがなければ、なるべく早くにこの空域を離れなければならなかった。 幸いというべきか、往路と同じ様に風のスクエアメイジが風石替わりの推進力になってくれている。 その時とは別人だったが文句などあろうはずがない。仮面を付けていようが呪文を唱えたら分身しようが、この非常時には些細な事だ。 それほど時を置かず、フネは雲を抜けた。『イーグル』号が向かったのとは逆方向、最短距離とはいかないが風向きを考えればラ・ロシェールまで行くのに支障はないだろう。 見た限りレコン・キスタ勢が近くに陣取ってはいなかったが、念の為にと風竜に乗った青髪のメイジとマンティコアに乗った仮面のメイジが直掩に当たっていた。 満身創痍の獣人が「ならば自分も」と言い出していたが、主らしいピーチブロンドの少女を始めとした全員に止められていたのはご愛嬌と言ったところか。 後甲板には避難民たちが『白の国』を泣きながら見つめていた。 故国をこんな形で去る事になろうとは、暫く前までは考えてもみなかったのだから、それも無理はない話である。 浮遊大陸がどんどん小さくなっていくと、突然眩い閃光と共に轟音が響き渡った。 衝撃波が軽くフネを揺るがし、副長の指示で船員たちが帆を確認したり乗客たちを落ち着かせる中、船長は帽子を目深に被りそっと黙祷を捧げる。 あの閃光こそが王党派の最期の輝きであると、船乗りとしての直感がそう告げていた。 空に響き渡るその音は、甲板に居るルイズの耳にも届いていた。 傍らには応急措置を施されたクロコダインが座ったままその目を彼方へと向けている。 「クロコダイン……」 ルイズは王女が学院に来た日の朝に見た夢をふと思い出した。 この頼れる使い魔が、自分の手の届かない危険な場所に独りで向かっていく夢。 不安そうな顔をするルイズに、クロコダインは包帯の巻かれた掌でそっと頭を撫でた。 「大丈夫だ、オレはちゃんとここにいる。疲れているだろう? 今は、少し休んだ方がいい」 確かにここ数日は身も心も休まる事はなかった。 久し振りの幼馴染であるアンリエッタ姫との再会、アルビオンへの非公式訪問、突然同行する事になった婚約者、襲撃に次ぐ襲撃、そして虚無の使い手としての覚醒。 大丈夫だという言葉に安堵を覚えたのか、ルイズはそのままクロコダインにもたれかかる。眼を閉じた彼女から寝息が溢れるのに、それほど時間はかからなかった。 せめて、今この時くらいはいい夢を見て欲しいものだと、クロコダインは人間の神に祈るのだった。 アルビオン、ニューカッスル城。 無人と化した筈の城の中に、指に大振りの指輪を嵌めた1人の女が立っていた。フードを目深に被っている為、その表情は窺い知れない。 「はい……はい、そうです。確かに始祖の秘宝を使い、虚無の呪文を発動させていました。ええ、予測通り、彼女がトリステインの『使い手』に間違いありません」 その手には小さな鏡が握られている。マジックアイテムであるそれには、先程まで礼拝堂での死闘がリアルタイムで映しだされていた。 虚空に向けて何者かと話している様子のその女は、やがて深々と頭を下げる。 「はい、では暫くの間は干渉せずに置くのですね……。わかりました。それでは失礼します、ジョセフさま……」 前ページ次ページ虚無と獣王
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『ゼロの大魔王』 前ページ次ページゼロの大魔王 草原の中に少年少女達が円を描くようにして集っていた。 その中心に立つ桃色の髪の少女が朗々と呪文を詠唱し、それに応じるかのように奇跡の業が顕現する――わけではなく味も素気もない爆発が起こった。 そこまでは周囲の予想通りであったため動揺も何もない。すでに地面には爆発によって散々穿たれた跡がある。 だが、少女は息を呑んだ。今回は立ち上った煙の向こうに影が見える。 (やった……!) 女は召喚の儀式によって使い魔を呼びだそうとしていた。 普段から魔法は失敗ばかり、起こるのは爆発のみ。周りの人間からもバカにされ、「ゼロのルイズ」という有り難くない名前もちょうだいした。 だが、使い魔の召喚に成功すれば――欲を言えば強力なものならば今までの蔑視や嘲笑を叩き返してお釣りがくる。次第に煙が薄れていくのを、目を皿のようにして見つめている。 煙が消えると一人の青年が立っていた。 頭の角や額の中央にある第三の眼が人間ではないことを何よりも雄弁に物語っている。 瞼は閉ざされており、腰までとどこうかという長い白銀の髪が風に揺れた。身に纏う衣は上質なものであり、佇んでいるだけで上に立つ者特有の空気をまき散らしている。 少年達が口を開きかけ、虚しく閉ざした。彼の眼が開かれ周囲を睥睨したためである。 彼の眼には呼び出した少女も取り囲む子供達も映っていないようだった。 他者が存在しないかのように視線が動き、己の両腕に留まる。全身を――世界を照らす光が信じられぬというように。 その顔がゆっくりと空に向き、彼は手を上げた。そのまま天空に輝く日輪を掴み取る仕草をする。 彼を囲む者達は凍りついていた。本来ならば失敗してばかりの少女の成功に何らかの反応を示すところだが、中央に立つ者の姿がそれを許さなかった。 しばらくの間両腕を広げて存分に光を味わっていた彼は、ようやく自分の置かれた状況を確認する気になったのか正面に立つ少女に視線を向けた。 「わ、私はルイズ。……あなたは?」 頭と舌がうまく働かず、そう言うだけで精いっぱいだった。いつもの彼女ならば「アンタ誰」で済ませただろうが、そのような態度を取るのはさすがに躊躇われた。 青年は不敵な笑みを浮かべ、答えた。 「余はバーン。大魔王バーンだ」 前ページ次ページゼロの大魔王
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☆A‐MAX☆ とどろく夢の遺跡65 (86)ダイ ☆B‐MAX☆ 見えざる魂の世界87 (2C)ひまわり
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わななく影の迷宮76 13Fゴールデントーテム×ラストテンツク (14)ダイ 呪われし大地の迷宮65 13Fラストテンツク×スライムマデュラ (1D)ダイ 大いなる光のアジト70 9Fラストテンツク×スライムマデュラ (8C)ダイ あらぶる光のアジト74 12Fラストテンツク×スライムマデュラ (6F)ダイ あらぶる魂の迷宮77 9Fラストテンツク×スライムマデュラ (09)ダイ 放たれし影のアジト58 9Fゴールデントーテム×サタンメイル (69)アイザック 大いなる魂の遺跡85 13Fゴールデントーテム×サタンメイル (6D)ひまわり 怒れる影の道65 10Fマポレーナ+にじくじゃく (1A)コハル 大いなる夢の道61 9Fゴールデンスライム×キマイラロード (8C)アイザック あらぶる夢の道65 12Fゴールデンスライム×キマイラロード (85)ダイ あらぶる影の迷宮80 9Fゴールデンスライム×キマイラロード (30)アイザック 怒れる夢の墓場62 11Fレッドドラゴン×デビルアーマー (58)アイザック 残された空の氷河63 13Fアカイライ×ナイトキング (64)ひまわり 呪われし光の凍土79 12Fアカイライ×ナイトキング (2C)ダイ けだかき風の墓場66 11Fメタルキング×スターキメラ (04)ダイ・アイザック
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☆箱39MAX☆ あらぶる風の奈落69 (5E)アイザック ☆A-MAX☆ とどろく夢の遺跡65 (86)ダイ 見えざる光の水脈88 (1F)コハル ☆B-MAX☆ 見えざる魂の世界87 (2C)ひまわり
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前ページ次ページゼロの影 其の九 奇跡の草原 ウェールズの眠る棺をどうごまかすか頭を悩ませたルイズだったが、ミストバーンから彼が夜眠ることにすればいいと言われ即座に採用した。 彼について無数の疑問があるため今更指摘する輩などいない。「だってミストバーンだから」と言えば皆何となく納得するだろう。 問題を一つ片付けたルイズだったが顔は晴れない。次に待ち構えているのは比べ物にならない難題だ。 アンリエッタに何が起こったか報告しなければならない。しかも、ウェールズは生きているという事実を隠した上で。 「やっぱり姫様にだけは話した方がいいんじゃないかしら」 とルイズは何度か言ったが拒絶された。ウェールズの意志に任せるつもりらしい。 王宮にてアンリエッタに謁見したルイズは事の次第を説明した。 手紙を取り戻したと知っても彼女の顔は暗い。ウェールズの“死”が彼女の心を責め苛んでいる。 「裏切り者がウェールズ様を殺そうとするなんて……よくぞ止めてくれました、ルイズ」 ルイズが何か言おうとすると沈黙を守っていたミストバーンが重々しく告げた。 「ウェールズは勇敢に戦った」 それを聞いたアンリエッタは覚悟をにじませた目で、 「そう、ですか。……ならば私も勇敢に生きようと思います」 と告げた。 いつものように授業が始まる前、いきなり休んだルイズにクラスメートが群がり何があったのか口々に尋ねた。 「噂によると魔法衛士隊隊長と一緒に出かけたらしいね。もしかして愛の逃避行とか?」 「まさか! ゼロのルイズがそんなロマンティックなことに挑戦するわけないじゃないか。相手を爆破して終わるよ」 すっかり爆弾魔扱いだ。 「胸がゼロでなくなる方法を探しに行ったんじゃない?」 「あり得るな。そして失敗したわけか」 「ああ可哀想に、私の胸で泣いていいのよ? 前よりひどくなってるじゃない」 好き放題喋る彼らにルイズは憤死寸前だ。退屈な者達は面白そうな話題があるとすぐ飛びついてしまうものらしい。 「う、うるさいわね! 王宮にお使いに行っただけよ! どうしても知りたいならミストバーンに訊いて!」 「んな無茶な」 即座に生徒達は首を振った。 彼らが大人しく席に戻ったところでコルベールが到着し、授業が始まった。 妙な物体を机に置いた彼は『火』の系統の特徴について説明するよう言った。『火』の系統を得意とするキュルケがやる気のなさを全身から発散させながら答える。 「情熱と破壊が本領ですわ」 コルベールはにっこりと笑い頷いた。 「そうとも! しかし、『火』が司るものが破壊だけでは寂しいと思います。使いようによってはいろんな楽しいことが出来るのです。破壊や戦いだけが『火』の見せ場ではない」 コルベールは続いて妙な物体を動かし始めた。情熱に目を輝かせる彼とは対照的に、生徒達は説明を適当に聞き流している。 油と火の魔法を使って動力を得る装置らしいが、魔法を使えば済むため重要性が感じられない。 「魔法はただの便利な道具ではない。『火』が破壊のためだけの力ではないように、使いようで顔色を変えると思います。伝統にこだわらず様々な使い方を試みるべきですぞ」 信念に満ちたコルベールの言葉に対して生徒達の反応はどこまでも鈍かった。 ルイズもあくびを噛み殺しながら何となく使い魔の方を見る。やはり彼は真面目に装置の仕組みについて鏡に書きこんでいた。 「いけすかないツェルプストーが使うんだもん、暑苦しい『火』は破壊にしか使えないわよ」 呟いたルイズには意外なことに、答えが返ってきた。 「火は再生をも司る」 主の象徴たる火の鳥――不死鳥は灰の中から蘇る。炎による浄化と再生を体現する存在だ。 「私の使う暗黒闘気こそが、破壊のためだけの力なのだろう」 淡々と事実を告げる口調にルイズは首をかしげ、周囲の人間に聞かれないよう声をひそめた。 「何言ってんの? あんたの能力でウェールズ様を救ったんでしょ。だったら破壊以外にも使える立派な力だわ。……洗脳とかじゃなくて」 今度は彼の方が理解できなかったらしい。 「人間は正義の光とやらを好むと――」 「それはあんたの戦い方がアレだからよ。先生も言ったばかりじゃない、使いようだって。建設的なことに使えば……どう考えても無理ね」 可能性を追求しかけて二秒で諦めた。大魔王の部下に無茶な注文だと自分でも思ってしまう。 その後ルイズはオスマンから呼び出され、『始祖の祈祷書』を渡された。 王女とゲルマニア皇帝の結婚式の巫女に選ばれたため詔を考えなければならない。 意気込んだもののすぐさま挫折した彼女は使い魔に助けを求めかけて即座にやめた。 口があるのかわからないような相手に詩的な表現を期待するのは間違っている。比喩を用いるとしても「花でも摘むように首をはねる」など傾向が偏っているだろう。 どう考えても祝福の言葉など持っているとは思えない。 うー、あー、と妙な声を上げながら床やベッドを転げ回る彼女の奇行にも一切関せず読書に耽っている。その傍らには数冊の書物が置いてあり、扱っている内容はバラバラだ。 今読んでいるのは始祖ブリミルについての本らしい。 約六千年前に活躍したハルケギニアで神の如く崇拝される偉大なメイジであり、その生涯や魔法は謎に包まれている。 魔界の魔法と始祖が操ったとされるものには似た部分があるため興味をそそられるところだが、書物は伝説の偉人として扱っており、どこまで確実かわからない。 何しろ彼の魔法で天地までもが鳴動したというのだ。神格化され大げさに伝わっている部分もあるだろう。 天空を思わせる模様が刻まれた表紙の本を閉じ、新たな一冊を手に取る彼を見てルイズの血管は切れそうになった。 (ななな何よわたしがこんなに苦労してるってのに自分は優雅に読書なんていい身分じゃない。そんなに大魔王さまのお役に立ちたいってわけ!?) と憤ってみたところで真面目に肯定されるに決まっている。 ますます釈然としないものを感じたルイズはささやかな抵抗を試みた。彼を連れて中庭に出た後、質問攻めを始めたのである。 青空の下に連れ出して少しでも開放的な気分にさせ、情報を聞き出そうというのだ。 まずは返事する確率の高い戦闘に関する質問――特に呪文について尋ねた。 こちらが知識を提供するだけでは不公平だ。前々から彼の世界のことも知りたいと思っていた。 すると、ほとんど喋らない彼の代わりに大魔王が質問に答えた。 一般的な火球呪文や氷系呪文といったものから天候を操る呪文まで様々なものを説明され、ルイズの目が輝く。 ミストバーンへの質問の大半は沈黙に撃墜されたが、答えが返ってきたのは大魔王の偉大さについての質問だった。 普段の無口さが嘘のように滔々と大魔王の魅力を語られた彼女はうっかり魔王軍、それも近日本格結成予定――最短でも数百年後だが――に入ろうかと考えかけ、我に返った。 とても面白くないものを感じる。自分はその五十分の一も褒められていないというのに。 数千年の間仕えてきたと誇らしげに語られたルイズは妙な疲労を覚えた。 (何かしら、このもやっとした気持ち……) 気を取り直して情報を探るべく質問を続け、ずっと気になっていたことをぶつける。 「あんたがいた世界――魔界って太陽が無いんでしょ? どうして?」 答えたのはやはり大魔王だった。 かつて世界は一つであり、人間と魔族と竜族が血で血を洗う戦いを繰り広げていた。 延々と続く争い憂いた神々は世界を分け、別々に住まわせることにした。脆弱な人間は地上に。強靭な体を持つ魔族と竜族は魔界に。 魔界にはあらゆる生物の源である太陽がなく、荒れ果てた大地が広がっているだけである。 ならば魔界は真っ暗なのかと尋ねると否定された。 数千年前に作られた人工の太陽が光源となり魔界を照らしているが、昼間でもかすかな光しかなく生命を育むほどの暖かさは無いのだという。 地上で見るものと同じ太陽を作り出すことはできず、彼らは太陽を手に入れようとしている。 ルイズは話を聞いてうーん、と考え込んだ。 馬の遠乗りで丘に登り気持ちのいい風を感じることも、光を浴びながら美味しいお弁当を食べることもない世界。 花々の無数の色彩や木々の緑、空の青も雲の白もない世界。 頭で理解しても実感は湧かない。 もし魔界に太陽があって地上と同じ豊かな地であれば、大魔王は何を望むだろうか。 試しに尋ねてみると「花見酒というのもいいかもしれんな」と笑いながら言われたが、どこまで本気かわからない。 話に熱中していたルイズは声の大きさに気を遣うことを忘れていた。 そのため、メイドの一人――シエスタが聞き耳を立てていたことに気づかなかった。 謎が多いミストバーンについての情報は生徒だけでなく使用人も欲しがっている。 彼女は舞踏会の時に聞いた会話を厨房の料理人や仲間に知らせたが、一笑に付された。「見た目からして闇っぽいのに太陽を求める奴に従うわけないだろ」というのである。 嘘じゃないと言い張っても聞き入れられなかったシエスタは意気込んでさらなる情報を集めようとしていた。そして―― 「きゃああっ!?」 気配を感じたミストバーンの爪に危うく刺されかけた。皮膚一枚を隔てたところで奇麗に止まっているのは見事としか言いようがない。 「すごい、加減がずいぶん上手くなったのね。レベルアップしたんじゃない?」 使い魔の影響を受けて感覚が麻痺してきたようだ。 「……私が?」 彼は意外そうに己を指差した。褒められて反応に困っているらしい。 間違った方向に心温まる会話を繰り広げる二人にシエスタがおずおずと詫びる。 「あ、あの、本当に申し訳ありませんでした! 太陽についてお話ししているのを聴いてしまいました……」 盗み聞きされたと知ってルイズは渋い表情になったが、そもそもこんな場所で大声で喋っていたのが悪い。 シエスタが再び丁寧に謝罪し、お詫びの気持ちとして故郷に行くことを提案した。 「すごくきれいな夕焼けの見える草原があるんですよ。おいしいシチューも」 その草原はあまりの美しさから『奇跡の草原』と呼ばれたこともあるらしい。 ルイズは迷ったが、素晴らしい光景を見ればインスピレーションが湧いて詔の文面が思い浮かぶかもしれない。 ミストバーンも主の目の保養になればと承諾し、彼らはシエスタの故郷――タルブの村に行くことに決めた。 実際の夕焼けを目にしたルイズは言葉を失い、ただ見とれていた。 草原は燃える炎の色に染まり、沈みゆく太陽は普段見るものの何倍も美しかった。 その輝きは暖かく優しく照らすだけではなく、弱い者を容赦なく焼き尽くすようにも見えた。 奇跡の名に恥じぬ凄絶な光景を大魔王も気に入ったようだ。 さらに、反対側の山から昇る朝日も別の美しさがあるのだと言う。 「この光景こそが宝物だって思うわ」 食事を告げに来たシエスタがしみじみとしたルイズの言葉に嬉しそうに頷く。 いつものように沈黙しているミストバーンは主と地上に来た時のことを思い出していた。 『何千年後になるかはわからぬが……あの太陽は魔界を照らすために昇る』 偉大なる主は手で太陽を掴み取る仕草をしながらそう語った。 さらに思考は過去をたどり、主との出会いまでさかのぼる。 『お前は余に仕える天命をもって生まれてきた』 全てはそこから始まった。 どれほど永い時を生きても、何があっても、その言葉を忘れることはないだろう。 ルイズとミストバーンと大魔王は夕陽を見る間、確かに同じ思いを共有していた。 興奮も冷めやらぬままシエスタの家で名物のシチューを食べたルイズは目を輝かせながら舌鼓を打った。素朴ながらも貴族のぜいたくな舌を満足させるほどの味らしい。 シエスタが恐る恐るミストバーンにも薦めたが、食事の必要が無いと断られ肩を落とした。だが、彼女が落ち込んでいるとなんと大魔王その人が語りかけてきた。 「数千年生きればいくら贅を尽くした食事でも飽きもする……そのような料理を味わってみたいものだ」 たちまちシエスタの顔が明るく輝いた。 「じゃあ作り方教えますね! 実際に作る所を見た方がいいですよね……ミストバーンさんも一緒に作りませんか?」 ルイズがシチューを噴き出しそうになり、かろうじてこらえる。慌てて飲みこんで必死の形相でシエスタを止めた。 「何言ってんの!? こいつが料理なんてドラゴンが裁縫する方がまだマシだわ!」 「やってみなければわからないじゃないですか。世の中には一か八かの賭けに勝ち続け奇跡を起こしまくりカウンターで一発逆転し続ける方もいますから」 「そういう問題じゃないわよ!」 彼は暴言にも動じず主からの指示を待っている。 「侍女達に作り方だけ教えればよい……と言いたいところだがあえてお前に作らせるのも面白いかもしれんな」 (よっぽど退屈してるのかしら) 腹心の部下がやり遂げると信じているのか、奮闘する様を見て楽しもうと思っているのか――ルイズにはどうも後者に思えてならなかった。 「じゃ、決まりですね。最高の一品を作りましょう!」 「たまには逆らいなさいよ……」 その忠誠心の十分の一でいいから自分に向けてほしいと思いながら、ルイズはテーブルに突っ伏した。 前ページ次ページゼロの影
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